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NoteOnSuraAndChando - *チャングムに見る高麗(韓国)と蒙古(モンゴル)の関係---水刺間,粧刀

目次

チャングムに見る高麗(韓国)と蒙古(モンゴル)の関係---水刺間,粧刀


韓国ドラマ「宮廷女官 チャングムの誓い」(MBC 制作, NHK 放送) では, 李朝(李氏朝鮮)の文物が様々に登場する. 水刺(スラ):王の膳,粧刀(チャンド):小刀 などがその例である. これらの言葉,漢和辞典で引いても載っていない. 日本ではあまり知られていないようだが, 蒙古語から来ているという.

韓国の歴史教科書に載っているので, 韓国では常識的に知られていることであろうと思われる. 引用しておこう.


学習の手引き

蒙古風と高麗様

高麗後期に元との交流が活発になるにつれて, 蒙古のいろいろな風俗が高麗で流行し, これを蒙古風とよんだ. 蒙古の風俗は, 主に王室や貴族・役人など上流階層を中心にして流行した. その一部は民間にまで及んでわが国の風俗に影響を与えた.

弁髪と胡服は当時の王室と役人の間で流行した代表的な蒙古風俗である. 女性のチョクトゥリ, 新婦の顔にさすヨンジ, 男女の腰ひもにつるす粧刀(チャンド) などの蒙古の風俗は, 一般の民間に広く伝わり今日まで残っている. このほか,韓国語の中にチャンサチ(商売人)などのようなアチやチがつく言葉とか, 王のお膳を意味するスラ(水刺)という言葉なども蒙古語の影響を受けている.

一方,高麗の風俗も蒙古に入ったが,これを高麗様という. 元の王室と貴族達は, 後宮・宮女・侍女を求めてしばしば高麗の少女を連れていき, また多くの高麗人が戦争捕虜として元に捕らえられていった. その彼らによって高麗の風俗が元の王室と一般社会に広がるようになったのである.

とくに, 高麗の風俗の中で衣服・履物・帽子と饅頭・餅などの食べ物が蒙古社会に急速に伝わったが, 高麗饅頭・高麗餅などの言葉は今日でも使われている.

訳注

チョクトゥリ: 伝統的な結婚式のとき頭にのせる女性の冠.モンゴルでは既婚女性が外出でかぶる帽子であった.

ヨンジ: 両頬と額に丸く塗る紅茜の花汁を固めたもの.モンゴルの化粧法であるが,崔南善によれば,韓国にも古くからあったという.


モンゴル・元 由来の言葉なら, 日本の漢和辞典には載っていなくても当然. すでに平安時代中期,西暦千年のころには紫式部や清少納言が活躍する国風文化が花開いていた. 元といえば,元寇,鎌倉時代. 鎌倉文化は禅宗に代表される大陸の文化も取り入れていたが, もはや何から何まで文化を輸入して置き換える時代ではない. もちろん,漢字の音に唐音(宋・元・明・清の中国音)というものがあるように, 文化を受け入れて続けていたわけだが, 遣唐使の頃の漢音が読みの主流であることにかわりない.

高麗(こうらい,コリョ)の末,明の時代, 武力で政権を握った 李成桂(イソンゲ) が 1392 年に建国したのが 朝鮮(チョソン) である. 第4代 世宗大王の時代に訓民正音ができた(1446). ドラマ,チャングムの時代は, 第9代 成宗(1469-1494),第10代 燕山君(1494-1506),第11代 中宗(1506-1544) の頃, 日本では室町時代,戦国時代の少し前頃である.

ドラマでは,宮廷の王の御膳の厨房, 水刺間(スラッカン) が全編を通して舞台となっている. 水刺間でも,高麗からの伝統に言及する場面が所々登場する. チョン尚宮が水刺間最高尚宮になって初めての水刺で作ったのが高句麗族のメクチョク(豚肉の焼き物). 高句麗というと,高麗より前の時代. 「みそ騒動」では,「水も高麗朝末からの伝統を守り」云々といっている.

さて, 粧刀は日本語版の台詞では小刀と言っていたように思う. チャングムの父,ソ・チョンスが鍛冶場で作っていたのが粧刀である. 村に訪ねてきた尚宮が注文していった. また,チョンスがチャングムに渡した三作ノリゲに付いていたのも, 墨壺,小筆,粧刀である. このノリゲはミン・ジョンホとチャングムの間を行ったり来たり, 本来の用途の飾りとしてはチャングムのチマチョゴリ姿を飾ることがなかった(たぶん). チョンスがチャングムにノリゲを贈るとき,粧刀は 身を守るためではなく,草木を採るときに使いなさいと言っていた. 日本語の小刀として聞いているとなんのことやら意味がわからないが, 女性が粧刀を使うのは貞操を守れなかったときの自害用という背景があるようだ. 日本の脇差しや短刀のようなものか. 日本の時代劇では自害はありふれたことなのだが, 韓国の時代劇ではどうなのだろうか. 現代韓国では一般論としては,日本ほど自殺に寛容ではないそうである. 同情されるよりは非難されることが多いという.

「元の王室と貴族達は, 後宮・宮女・侍女を求めてしばしば高麗の少女を連れていき」 は,「料理人の信念」で糖尿病の明の使者の乳母が朝鮮女性だったということに通じている.

このあたりの話しでは, 朝鮮の世継ぎを明(中国)に認めてもらわなければならないと皆ピリピリしているのだが, 日本人から見ると, 朝鮮の王位継承が中国になんの関係があるのだろうかと不思議な光景である. 実態は,朝鮮半島の歴代の王朝は中国の属国であったということ. 属国というと言い過ぎかもしれないが, 完全な独立国ではなく,中国に従う自治領(国)というわけである. 日本では,聖徳太子が遣隋使で 「日出ずるところの天子,日没するところの天子に書をいたす」 と対等外交を主張して中国が激怒したという話があり, また,元号も日本独自を貫き, さらに,天皇家が王ではなく帝を名乗っている. そのため,天皇は「陛下」,皇子は「殿下」と呼ぶ. 一方の朝鮮王朝では,主権者たる明国皇帝が「陛下」, 臣下である朝鮮王が「殿下」,その子(世子,元子)が「邸下」. 王様が何で「殿下(チョナ)」なのだろうと不思議に思えてしまうが, そういうわけだ. だから,NHK日本語版で,王の母を「皇太后」, 王妃を「皇后」といっているのは,涙ぐましい努力ではあるが,ちょっとおかしい. ちなみに,朝鮮王が皇帝を名乗るのは,日清戦争後,大韓帝国になったときである. 元号もずっと中国の元号を使っていた. ドラマの中で,公文書に元号らしきものが出てくるが, おそらく,架空のものである. 何カ所かの元号らしきものを確認したところでは,中国の元号ではなかった.

言葉の面で言えば, 漢文を読むとき,韓国では白文を読み,日本では書き下し文で読む. ドラマの中でも,漢文は白文で読んでいる. チャングムも白文で理解しているので,周囲の目も賞賛に満ちたものになっている. 漢字・ハングル交じり文は,近代日本の影響下で広められたが,定着しなかった. そもそも,日本の訓読みに相当する読み方は行わないのだそうである. だから,書き下し文などありようはずがない. 書き言葉といえば,漢文(白文)だった. 現代の韓国で漢字が見られずハングルばかりになっていることからは想像もつかない.

ことほど左様に,韓国と中国の関係は,日本と中国より密接である.


余談:歴史教科書

余談だが,取りあげた国定韓国中学校国史教科書, 現在では韓国では旧版になっていると思うが, 通読するとおもしろい.

日本の歴史教科書とは記述思想がまるで違う.

中学校でこのような「史実」や解釈を暗記してしまったら, 歴史に対する認識が日本人とまるで違ってしまうのは当然である. 裏の裏や行間を読みとれるほどの読解力があれば 様々な論理の飛躍や裏付けの欠如がわかるだろうが, 中学生では文字通りに受け取って真実だと思いこむことであろう. 教科書というものは一般に, 厳密にいえば間違いであったり, 論理に飛躍があったり, 異論を排除していたりするもの. とはいえ,やりすぎに思える. 韓国の思想統制の一端がかいま見える.

一方では,合わせ鏡のように,日本の歴史教育の問題点も見えてくる.

日韓の懸案,歴史認識や教科書問題も根が深い.

文献


(2006.02.03 librarian)