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MakisimaDiary20051130 - *ダブルお墓参り (管理者により凍結中)

目次

ダブルお墓参り (管理者により凍結中)


11月30日(水). もともとは,両親と北斎展に朝一番に行こうと, 前日29日から谷中の実家(マキシマ研究所)に泊まって備えていた日だった. が,前日夕方,父が主催の日本経済新聞社の販売店に電話で交渉したら, 「取り寄せて,30日夕刊と一緒に届けられます」ということで, ぽこっと予定が空いてしまった.

だったら,延び延びになっていたお墓参りに行こう,というわけである. 一日で,父方,母方の2カ所にお参りするという強行軍.

まず,母方のほう,生田の春秋苑に向かう. http://www.shunjuen.or.jp

8:50頃,東京メトロ千代田線,千駄木駅. JR 関係でダイヤが乱れていた模様. 霞ヶ関,小田急の代々木上原,途中で各停から準急へ,生田下車. もともと,乗り換えは1回ですむはずだったのだが.

生田駅でトイレに行くべきだった.

花を買い,農協前の無料送迎バス乗り場で 10:30 まで待つ. ずっと緩やかな昇り,春秋苑正門の前で急峻な昇り. 地図をみて,歩いてもいけそう,と言ったら, 一度歩いたが,春秋苑の前の昇りが大変だったから,もうやだとのこと. 母の足の調子はあまりよくないようだ.

天気予報に反して,それほど寒くもなく,よい天気.

送迎バスを降りてトイレに行こうと思ったら, 「11/30 午前中工事のため断水,使用不可」...   脇道から歩いて5分ほど下ったところの青蓮堂なら使えるというので, 行ってみる. ただの家か会社のような構え. 訊いた本部売店の人には,「撮影の方ですか?」と聞かれてしまった. 墓参りに来た一般人には見えなかったようだ. たしかに,ひげ面,帽子,白に赤模様のセーター,グレーのズボンに, 黒革のコート,黒革の手袋では,怪しげだ. お墓参りではなく,美術館を想定した格好なのだからしょうがない. 少し向こうの方では大人数で機材を持ち込み,なにやら撮影をしていた. 生田の撮影所だろう.

戻ってきたら,お墓の掃除やなにか,ほとんど終わっていた. お花,お線香.

一応水をかけ,お祈り. 母は般若心経を唱えていた.

私はどちらかというと写真を撮る方に気をとられ, あまりお祈りしていない. なんとお祈りしていいのかもよくわからないし.

墓石の裏に母が建てたと刻んであり,写真とってくれと. 「昭和三十六年八月四日 建立主 大平京子」

このお墓は,祖父の葬式で,香典として,母から(家長の)叔父に譲られた. 母が銘を削っていいよといったら,叔父曰く,削るのにお金かかるからいい,だそうだ.

このお墓には, 母の母(実の祖母),祖父,私の知る祖母の3人が眠っている. 戒名のお金のかかり方が,叔父が出したあとの二人と, 祖父が出したであろう前の1人と全然違っているように思える. たいら(いわき)の本家は神宗(神道?)で,榊になり, 戒名というものはないんだそうだ.

春秋苑も当時からするとどんどん拡張されていって広大になったそうだ. もともとは正門のすぐそばに買ったのだが, 区画整理とかで,今の場所に移されたそうで, 普通の値段で一等地になったらしい. 今なら一千万コースだとか. 正門,本部近くで, 「東2区3側12番」,お墓の通路のがけ上は本部の建物群だ.

送迎バスの時刻まで時間をつぶす. 丘の建物も昔はなかったらしい. バスの時刻頃には水道が使えるようになったらしく, 母やほかのおばさんが本部の建物のトイレを使っていた.

送迎バス,かえりは,まずぐるっと回って青蓮堂. それから,団地をぐるっと回って生田駅の向こうへ. 11:15発で11:30着. 15分あれば歩いて駅まで行けそう....

昼にはちょっと早いと,北千住まで行くことになる.

各停に乗り,途中で我孫子行き急行(準急?)に乗り換え. JR我孫子行きというとわかりにくいが, 東京メトロ千代田線経由ということだ.

北千住で改札を出, 丸井の「銀座中村屋」カレーを食べる. 肉ブロックの骨が大変.しつっこい. 両親は,昔は有名だったんだけど,本当に本店と同じ味?と店員に訊いていた. 私にはよくわからんが,いまどきのカレーはこんなもんじゃなかろうか.

幸手で花を買うのが大変ということで, 花屋を探す. 丸井向かいのルミネにあるとか(丸井店員),ないとか(交番), 振り回されたが, ルミネの3階,ちょうど改札の入り口前に生花店があったにはあった. が,父が,萎れているし仏花に見えないと,幸手で買うといってやめる.

東武の切符売り場は「使用中止」が半分, さらに,「500円硬貨使用できません」. しかも,北千住から幸手までちょうど500円ときたもんだ.

改札を入るが,どの番線のどれに乗ればいいのかさっぱりわからない. 普通の私鉄の大きな駅では路線図や停車駅がわかりやすく表示されているもんだが. 父が,ここだ!といって登ったホームは違っていて, あわてて,2階下のホームに急いで飛び込む.

父曰く,「東武は ほんと だめだ だめだ.」 (ちょっと同感)

乗ったのは 13:55 発,「新栃木行き準急」で,幸手駅停車. 14:43 着. 用心して,幸手駅構内でトイレに入っておく.

改札を出ると,閑散とした駅前. 東武ストアが廃屋. 駅前通もゴーストタウン一歩手前.

父がだいぶ向こうの県道(?)のほうまで花を買いに行く. 母と私は幸手観音 満福寺に直行. 駅前の道をまっすぐ行き,神社を右前にみて,そば屋の角を左折. 途中,神社を左手に「前は池があったのよ」, 「この美容院が花を売っていた」,などと話しつつ, 信号を左折してお寺へ.

お墓は真ん中辺で,こけむしていて判読不能. どうせ,家名も「槙島」(横書き「島 槙」)だ. 卒塔婆は全部,本家筋の従兄弟の名 になっているので, 次に来たときはこれが目安か.

(枯れた)花をさしてあった筒に水をくんできて, というので,お寺の家の前で水を入れる. ついでに桶にも水を入れていく. ちょうど,そのときに父が花を買ってやってきた. 母が花の水と言って待っていたのは「置き引き注意」とのこと. 谷中霊園では,荷物を置いたまま水くみに行くと危ないんだそうだ. もっとも,満福寺では人の気配がないが. ちなみに,谷中霊園は東京都の墓園で,上の寛永寺に連なり,徳川慶喜の墓もある. 山手線で日暮里〜鶯谷の山側にお墓がたくさんあるのが電車からも見える.

さて,墓石に水をかけるも,水がしみこまない. 枠が石で,墓石との間の砂地のところの直下に骨壺があるらしい. そりゃ,知らなきゃ踏んづけるって. うっかり踏むと骨壺が壊れて大変なんだそうだ.

父が花をさし,線香に火をつける(マッチ持参). 線香は線香屋で,ばらけないできれいなものを選んで買ってきたんだそうだ.

3人でお祈り. 母は般若心経. やはり,私は祈りの言葉を持たなかった.

写真は日が傾いたせいもあってあまりうまくとれなかった. カメラの操作やテクニックが身に付いていないということではあるが.

父が,お寺の奥さん(?)と話したところでは, うちからみて本家の熊谷の私の従兄弟(長男ではないが伯母と同居)が 一応きちんとやっているらしい. 大宮が,墓を引き取るといっているが, 別の家に嫁に行った先に引き取るというのも,どうやら先走りのようだ. 住職は,昔,私たち兄弟が会ったことがある方は亡くなって, 甥御夫婦が住職をやっているらしいが, 先生が本業で,住職は副業らしい.

本家筋,私の従兄弟の長男は独り者, 伯母の面倒をみているのも独り者, もう1人には子供があるらしい. 誰が家を継ぐのだろうか. 父の雰囲気では,あの家はさっぱりわからない,勝手にするだろう, といった感じだった.

うちのお墓参りの時には,母がいうには, 勝手に来て勝手にお参りしていけばいいとのこと. 人がいたらちょっと会釈しておけばいいと. 父に訊いたら,お布施は熊谷のほうで出しているので, うちでは出していないんだそうだ.

帰りは秋谷病院側から,保健所脇を通り,駅前の交番の角へ出た. 父が,千代田線への連絡切符が買えないかと窓口で訊いているときに 上り電車が来て, 「そのまま乗れない?」と父が聞いたら, 「幸手駅で入場し,着駅で精算」という非磁気切符を3枚くれて, 車掌さんに合図してちょっと待ってもらって乗れた. がらがらで座れたが,日がまぶしいとか何とかで,3人バラバラ.

北千住で降り, 「出られるならここで精算したほうがいいよ」と私が言っていたが, 改札を出ないままに千代田線ホームに着いていた.

そこから,千駄木で降り,帰宅.

母は銭湯へ,父は夕飯の用意. 私はカメラ (Canon EOS Kiss Digital N) データの整理. 付属ソフトでパノラマ合成はうまくいくものとうまくいかないものがある. 幸手のお墓のぐるり一周は何度やってもバグがあるらしく保存時に失敗する.

3人とも疲れて,21時頃には就寝.

私が墓参りをしたのは十数年ぶりだろう. だいたい,尊属にしても傍系にしても,親類というものが,私にはピンと来ない. とくに今回の墓参りは突然で,鬱々とだるい中に2カ所連続だったので, ひたすらにつかれた.

心身が健康になって,その気になるときが来たら,落ち着いてお墓参りもできることだろう.

(2005.12.06 librarian)