あけましておめでとうございます。
2012年は辰年、竜。竜といえばパーンの竜騎士シリーズ。作者のアン・マキャフリイ女史は昨年亡くなりました。登場する火蜥蜴がかわいいですね。パーンの竜のご先祖さまです。

“Fire-lizards on Pern”, dedicated to Anne McCaffrey (1926 – 2011).
これを機に初めて Blender を使ったのですが、難しい……
(2012.1.1)
Makisima Library, Vol.3
南半球でラブジョイ彗星が見えているそうです。太陽に突っ込んで消えるかと思いきや、生き残って勇姿を見せています。尾は20°くらいあるんだとか。
ということで、 日蝕貧乏知恵者猫 (aurora_lummox) さんのつぶやきから目が離せません。
(2011/12/23)
をみると、12月28日現在、天の川くらいの明るさに暗くなってきたようです。
によると、2012年1月01日現在、だいぶ暗くなっています。南十字、ケンタウルスα・βの下に彗星があります。ちなみに、南十字の十字の先端と、ケンタウルスα・βの垂直二等分線との交点の辺りが天の南極点だったと思います。
(2012.1.2)
水戸黄門 最終回スペシャル を見ました。42年間。水戸黄門と歩んだ年月。
Wikipedia の水戸黄門の項(水戸黄門 (パナソニック ドラマシアター) – Wikipedia)から、歴代黄門様の項を眺めて気がついたのですが、私にとっての水戸黄門は、
の一行と認識されているようです( 水戸黄門 (東野英治郎) – Wikipedia )。つまり、第3部(1971年11月29日~)から第8部(~1978年1月30日)までです。
初代助さんの杉良太郎は記憶になく、見ていた可能性はあるものの、水戸黄門一行とは感じられません。いつのまにか格さんが大和田伸也になっていて、前の格さん横内正が他の時代劇の主役になったんだなぁと思った記憶があります。黄門一行には(弥七の奥さんとなる)宮園純子がずっと一緒にいるのが好きで、始めと終わりだけにそば屋のおかみさんで出てくるのが寂しく感じていた記憶もあるので、ひょっとすると第三部が私の原点になっているかもしれません(定かではありません)。
宮園純子に変わって、第9部からは山口いづみが一行に加わっているようです。山口いづみというと、若い侍姿が思い出されますが、水戸黄門だったのかどうか? 古いことなので、Google の画像検索には引っかかってきません。家庭用ビデオが登場する前(少なくとも普及する前)のことです。
子供の頃に流行ったジョークといえば、
Q: 「水戸黄門の本名、知ってる?」
A: 「水戸光圀」
Q: 「東野英治郎だよ!!」
ですから、黄門様といえば東野英治郎には違いありません。偉大なるマンネリでした(マンネリという言葉、表現自体が古めかしく感じられます)。
その後、黄門様が西村晃に変わっても食卓で流れ続けていました(1983年放送の第14部から1992年放送の第21部まで。水戸黄門 (西村晃) – Wikipedia )。ここら辺まではよく見ていました。夜7時以降のチャンネルの選択権は親にあって、父が時代劇が好きなんでしょうね。
かげろうお銀(由美かおる)の登場は第16部(1986年4月28日~)からのようです。私にとっては、弥七と共に活躍する女の忍びはお新(宮園純子)のイメージが強いので、やはり初期のシリーズが強く印象に残っています。データからすると、由美かおる(といえば入浴シーン)のほうが圧倒的に長いことになります。
佐野浅夫の黄門様はほとんど見ていません。実家から離れてテレビもあまり見なかった時期です(水戸黄門 (佐野浅夫) – Wikipedia。1993年放送の第22部から2000年放送の第28部まで)。平日夜8時にテレビを見ている余裕はありませんでした。
石坂浩二の黄門様は2部だけなんですね。この頃の私はうつ病になって生活や行動が一変した頃です。
里見浩太朗が黄門様になったときには、助さんが…… orz と思いました――― 今見ると順当な黄門様ですが、当時は。(水戸黄門 (里見浩太朗) – Wikipedia。第31部2002年~第43部2011年12月12日まで)。第42部(2010年10月11日~)で助さん(東幹久)、格さん(的場浩司)、雛形あきこに一新されてぎくしゃく始まる回は見ました。その後、脚本がしっくりしないなぁと感じながら何回か見て、シリーズ打ち切りの発表、43部最終回の12/12、シリーズ最終回12/19(月)に至ります。
2011年12月12日の回は、旅から戻って水戸の隠居所でのんびりしているところに柳沢吉保(石橋蓮司)の刺客が現れるという完結編のような構成の割にはあっさりした話でした。19日のスペシャル版に全勢力を注いだのでしょう。
シリーズ打ち切りを告げられた里見浩太郎曰く「後ろからばっさり斬られたような」思いだったそうです(報道各社のページより)。42歳といえば男の厄年。黄門様も厄年にはかなわなかったようです。脚本を王道に、マンネリいとわずで作れば、里見黄門様で単発のスペシャル版ができるのではないでしょうか。シリーズ終了後の時代劇では、鬼平犯科帳でときどきやっています。
このごろ韓国の歴史ドラマもテレビでやっていますが、延々と続く陰湿な陰謀の応酬や、それに伴う証拠・真実のねじ曲げ合戦に辟易することがあります。それに対して、水戸黄門に代表される時代劇は、正しいことは正しい、秩序は保たれる、チャンバラの高揚感、脚本がマンネリで毒がない安心感もあって、一日の終わりに のほほんと楽しむにはよいものです。
銭形平次、遠山の金さん、大岡越前、暴れん坊将軍、そして水戸黄門も終わり。時代が移りゆきますね。
(2011/12/21)
今回の皆既月食は、埼玉では雲もなく、よい条件でした。
部分食の始め 2011/12/10 21:45
皆既食 2011/12/10 23:06~23:58
部分食の終わり 2011/12/11 1:18
(半影食は略)
写真は双眼鏡と iPhone のコリメート撮影です。PENTAX 8×42 の双眼鏡を三脚に載せ、iPhone 3GS のカメラを手で近づけています。iPhone 3GS のカメラは露出補正ができない(手動で固定できない)ので白く飛んでしまっています。
月の満ち欠けの形とは違って、地球の影の円盤で隠されている形がわかるでしょうか。
(2011.12.11 記)

船の科学館が閉館する(本館と羊蹄丸展示の休止)とのことで、(たぶん)数十年ぶりに行ってきました。ゆりかもめに乗るたびにいつか観ようと思っていたのですが、結局閉館の二日前、2011/9/28 になってしまいました。秋分の日の連休はすごい人出だったそうです。混雑を避けて平日にしたのですが、友人のU君も付き合ってくれました。

羊蹄丸の中にはディーゼル機関車 DE10 や客車の スハフ44 もありましたが、それを含めてテーマパークのように改装されていました。東京都区内まで千数百円という料金表の時代の様子を蝋人形で再現していたようです。


南極観測船 宗谷の中は、ほぼ当時のままに展示されていました。小さくて狭くて、ご苦労がしのばれます。

船の科学館前には帆船の日本丸が停泊していました。ちょうど戻ってきていたようです。(海・船デイリーニュース 2011年09月28日)


展望塔は 50 m くらいあるのでしょうか、ぐるり 360° を見渡せます。むかし、私が小さな頃にはレインボーブリッジもビル群もなく、茫漠とした荒れ地の向こうに堤防だけ見えていた記憶があります。品川あたりからバスで海底トンネルを通ってきたような気がします。

船の科学館は夕方5時まで。羊蹄丸の舳先の近く、岸辺のベンチからは、太陽が日本丸の向こうに沈むのが見えました。目で見るともっと明るくて、白い日本丸がくっきり見えていたのですが、携帯電話のカメラではダイナミックレンジが狭くて絵のようになりました。

(2011/9/29)
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